頑張りたくない

NNTのゴミブログ

就活の愚痴

就活してたときに書いてたブログの下書きを供養します。

以下下書き

 

どうももょもとです。

働きたくなさ過ぎて就活モチベが全く上がらないです。もうモチベとかそんなこと言ってる場合ではないことはわかっているんですがやる気はないです。いや、面接ってマジで茶番じゃないですかと思う次第です。

面接ってだいたい2、3回あると思うんですが、僕は一次面接は割と通るんですが二次でいつも落ちます。理由は主体性が感じられないからだそうです。受け答えはしっかりできて、元気もあると言われるんですが、主体性がないから落とされるそうです。主体性って一体何なんだろうかと思います。

主体性っていうのは自分がやりたいことを進んでやるというか、自分の中で判断基準を持って自分で物事を決めるってことではないかなと思います。僕にそれがあるかと聞かれたら確かに首を傾げますね。というか働きたくない。

僕の判断基準は常に周りです。これをやったら周りにどう思われるか、周りに迷惑をかけないか、こんなことばかりいつも考えています。僕はそんなに悪いことじゃないと自分では思っているのですが、社会はそれだと認めてはくれないようです。

僕は中2の頃少しいじめられた時期がありました。いじめと言ってもそんなに凄惨なものではなく、ネタにされたり、机を教室の外に出されたりとその程度だったのですが、同じ部活で割りと仲が良かった人からいじめられたので、めちゃめちゃショックで学校も行きたくなくなりました(まあサボらず行きましたが)。一番嫌だったのは三者面談の時に親にそれがバレた時ですね。あの時は本当に惨めで逃げたくなりました。なんでいじめられたのか、理由はよくわからないんですが、その時僕は、「自分の行動、言動がウザかったのではないか」と考えました。そこで、僕は①余計なことを言わない②人の機嫌を損ねない③周りを気にする事を心に決めました。まあ要するに人から嫌われないよう気をつけたんですよね。

幸い中3ぐらいになったらほとぼりも冷め、いじめっ子たちとも普通に遊ぶようになりました(デュエマで)。しかし僕の性格はそこを境に変わったような気がします。内向的になり、他人の目を過度に気にするようになりました。

哲学者フーコーは、現代社会はパノプティコン構造をしていると言いました。パノプティコンというのは、ベンサムというおっさんが考えた、囚人を効率よく管理するシステムのことで、真ん中に監視者を配置し、その周りをぐるっと囲むように囚人の独房が配置されている作りです。こうすることで、囚人は常に監視者から見られていることになり、規則正しい生活を送るだろうという寸法です。この時、実際に監視しているかどうかではなく、囚人達に、「監視されている」と思わせることが重要です。じゃあ現代社会の何がパノプティコンなのかというと、現代社会において、この構造の中心の監視者であるのは、社会そのものではないかということです。

かつてキリスト教世界では、聖書、神の教えに従い、規則正しく生きようという考えが主流でした。当然今もそういう考えは社会の根底にあると思うんですが、昔よりは薄れています。殊に日本は信仰心が薄く、神を信じるという文化的背景も無いです。じゃあ何が人々の生活を規定しているのかというと、それは社会、世間が市民を監視し、ルールに沿った生活を強いているというわけです。でも実際世間の人を監視している社会って存在しないですよね。そりゃあ外には人が沢山いますけど別に監視しあってるわけじゃないです(最近SNSが流行ってそうとも言えなさそうですが)。ありもしない社会の目に怯え、自分で自分を縛り付けている、パノプティコンに閉じ込めているのが現代社会であると、フーコーは言ったわけです。

 僕はいつもネットでジャップの同調圧力wwwとか言ってバカにしていますが、自分が一番同調圧力に屈していて、卑屈な精神の持ち主であると

 

文章はここで途切れている。

フーコーとかの下りはその時読んでた本の影響です。

用語の理解とかがガバガバだと思いますが許してください。